これは、
正しい子育ての方法を
お伝えする文章ではありません。
保育の仕事を
長く続けてきた私が、
母として何度も折れながら、
娘と、
自分自身と、
もう一度向き合っていった
話です。
はじめまして、ゆかりです
私は、
幼稚園教諭として19年間、
保育園で約9年、
子どもたちの成長を
見守ってきました。
今も保育園で働きながら、
日々、子どもたちと
関わっています。
これまで本当にたくさんの、
個性豊かなお子さんたちと
出会ってきました。
うまくいく日もあれば、
どうしたらいいか
悩む日もありました。
それでも、
その子その子の姿を見ながら、
試行錯誤して、
成長のお手伝いを
してきたつもりです。
だからどこかで、
思っていたのだと思います。
子育ても、
ある程度は
自信を持って
向き合えるはずだと。
でも、
娘の子育ては
まったく違いました。
仕事の中で
積み重ねてきた手立てを
いろいろ試しても、
娘には何ひとつ
通用しませんでした。
うまくいかない。
伝わらない。
関係性は
こじれていくばかり。
子どものプロだと
思われる立場の私が、
自分の娘の前では、
何度も心が
折れていきました。
それでも、
この経験があったからこそ、
今なら分かることがあります。
子どもを理解することと、
お母さんの心を
置き去りにしないこと。
その両方がなければ、
親子は本当に
苦しくなってしまうのだと。
子どもを理解することと、
お母さんの心を
置き去りにしないこと。
母が残してくれた言葉
若い頃は、
結婚願望もありました。
けれど歳を重ねるごとに、
その思いは
どこかに置き去りになり、
私は仕事に
没頭してきました。
そんな折、
母が肺腺癌に
罹患しました。
闘病中の母は、
私にこう言いました。
「あなたの仕事は
素敵な仕事だと思う。
でも、
女性としての幸せも
知ってほしい」
そして最後に、
「まあ、結婚だけが
全てではないけどね!」と、
母らしい捨て台詞も
ありました。
私は、
母の先が短いことを
どこかで察していました。
家族を持つことを
真剣に考え、
当時お付き合いしていた
現在の夫を、
病床の母に紹介しました。
母も少し、
安心してくれたのかもしれません。
それから1か月ほどで、
母は62歳の生涯を
閉じました。
母の言葉は、
私の人生を
大きく動かす
きっかけになりました。
45歳で、母になりました
母の喪が明けた翌年、
私は40歳で
ようやく家庭を持ちました。
この年齢で
子どもを授かることは、
奇跡に近いことだと
思っていました。
それでも、
諦めきれませんでした。
不妊治療の末、
45歳で娘を
出産しました。
やっと会えた我が子。
嬉しい気持ちは
もちろんありました。
けれど、
若いママさんとは違って、
出産のダメージは大きく、
身体は本当に
ボロボロでした。
それでも、
1歳くらいまでは
順調に育っているように
思えました。
でも、
1歳半を過ぎた頃から、
少しずつ
気になることが
増えていきました。
人がたくさんいる場所へ行くと、
娘は大泣きしました。
特に、
子どもの泣き声に
反応して
泣き出すことが
分かってきました。
これは何かある。
ただの過敏ではない。
小さな疑いは、
少しずつ
確信に変わっていきました。
これは何かある。
ただの過敏ではない。
保育園という場所が、娘にはしんどかった
24時間、
娘と一緒に過ごすことが、
だんだん苦痛に
なっていきました。
そんなふうに思う自分にも、
また傷ついていました。
このままでは、
私も娘も
壊れてしまう。
そう思い、
娘を保育園に
預けることにしました。
同時に、
私自身も保育園での
勤務を始めました。
案の定、
娘の聴覚過敏による不安は、
保育園でも
日々起きました。
一日中泣いてしまい、
しょっちゅう
呼び出されていました。
私も仕事があるので、
預けないわけには
いきません。
でも、
泣き続ける娘を
置いていくたびに、
胸の奥が
ぎゅっと痛みました。
人が多い場所。
ざわざわした音。
赤ちゃんや子どもの
泣き声。
娘にとって、
保育園という場所は、
ものすごく
頑張らなければいけない
場所だったのだと思います。
3歳クラスに進級すると、
給食もおやつも
一切食べない日が、
1か月ほど続きました。
ほどなくして、
場面緘黙の症状も
出てきました。
言葉にできないまま、
泣くことでしか
伝えられなかった娘。
その姿を見ながら、
「この子の中で
何が起きているんだろう」
と思う一方で、
当時の私は
受け止めきれずにいました。
子どものプロだった私が、折れていった
私は、
発達特性のあるお子さんとも
たくさん関わってきました。
うまくいくことも、
うまくいかないことも
もちろんありました。
でも自分の中には、
「こう関わると、
少しずつ変わっていくな」
という手立てのようなものが
あると思っていました。
けれど、
それを娘にも
やってみても、
全く通用しませんでした。
日々、
心が折られるような
感覚でした。
保育園で頑張りすぎた娘は、
家に帰ってからも
癇癪を起こしました。
ご飯だよ。
お風呂だよ。
寝るよ。
そんな日常の切り替えが、
本当に難しかった。
遊びの中でも、
思うようにいかないと
大きく崩れてしまいました。
物を投げる。
親を叩く。
自分のことを
傷つけることもある。
そのたびに、
私の中の余裕も
少しずつ
削られていきました。
見方が変わった研修
そんな頃、
仕事の方でも
特性のあるお子さんが
増えてきました。
私は、
障害児保育の研修を
受けることにしました。
そこで、
私の保育観は
180度変わりました。
「集団でできなくて
困る子」ではなく、
「この子が
困っているんだ」
そう見方が変わった時、
関わり方も
変わっていきました。
集団に合わせることだけを
目指すのではなく、
この子にとって
何がしんどいのか。
どう関わることが、
この子にとって
少しでも楽なのか。
どこで折り合いを
つけていけるのか。
そう考えるように
なりました。
娘も同じでした。
4歳でASDの診断を受け、
娘の行動を
「困ったこと」としてだけ
見るのではなく、
この子の中で
何が起きているのかを、
少しずつ考えられるように
なっていきました。
でも、
娘のことは
少しずつ見えてきたのに、
自分のことは
置き去りでした。
気づけば、
娘のため。
夫のため。
誰かのため。
自分のエネルギーを
使い続けて、
日々のしんどさを
言えずにいました。
「今がしんどい」が、届かなかった
私は保育園で働き、
担任も持ち、
責任のある立場でした。
家に帰れば、
時間がない中で
家事も育児もあります。
夫は当時、
娘のことを
なかなか理解できず、
私は自分一人で
全部抱えているような
気持ちでした。
いろいろな人に
相談もしました。
市の相談にも
行きました。
けれど、
月齢が低い時期は、
自治体によっては
すぐに発達検査を
すすめられず、
「様子を見ていきましょう」と
言われることがあります。
きっとそれは、
必要な手順だったのだと
今なら分かります。
でも当時の私には、
その
「様子を見ましょう」が、
このしんどさを
受け止めてもらえなかったように
聞こえてしまいました。
助けてほしくて
相談に行ったのに、
見捨てられたような
気持ちになってしまう。
それが、
とても苦しかったです。
私がほしかったのは、
きれいな正論だけでは
ありませんでした。
「わかる、
うちもそうだよ」
「もう少し成長したら
落ち着くよ」
そう言ってくれる人も
いました。
きっと、
励まそうとしてくれて
いたのだと思います。
でも、
私の心の声は
そこではありませんでした。
今。
今がしんどい。
誰か助けて。
その声は、
誰にも届きませんでした。
夜、
家族にバレないように
こっそり一人で泣く日々。
娘と向き合っている時の
自分の顔が、
鬼の形相になっていることに
気づいたこともありました。
その瞬間、
すごく切なくなりました。
孤独で、
誰も分かってくれない。
夫も分かってくれない。
「私、
すごく一人じゃん」
そう思っていました。
大変だね、と
言ってもらえることは
ありました。
でも、
今この瞬間を
どう越えたらいいのか。
このぐちゃぐちゃな気持ちを、
どこに出したらいいのか。
そこが分からないまま、
毎日を過ごしていました。
今。
今がしんどい。
誰か助けて。
ぐちゃぐちゃのまま、相談した
そんな時に、
つっつんさんの
「お母さんに寄り添うサポート」を
知りました。
たまたま開いたInstagramで、
何度か目にしていたのだと
思います。
その中にあった、
「お母さんの心に寄り添う」
という言葉に、
バッと心を
掴まれました。
でも、
申し込みのボタンは
なかなか押せませんでした。
その日は押せなくて、
夜寝ながら考えて、
翌日になっても
「どうしよう、どうしよう」と
悩んでいました。
時間切れだよね、
と思いながら、
一日遅れて
「まだ間に合いますか?」と
連絡したと思います。
そしたら、
「もちろんです」と
快く受け止めてくださって、
ホッとした記憶があります。
実際に話してみた時の
第一印象は、
正直に言うと
「若い人だな」でした。
でも、
つっつんさん自身が
自分の特性と向き合い、
いろいろなことを
乗り越えてきた話も
聞きました。
そして、
私がパニックのような状態で
話していた時、
つっつんさんは
すぐに「わかります」と
軽く返すのではありませんでした。
私が言葉にできない
モヤモヤや怒り。
ぐちゃぐちゃに
絡まっていた感情。
それを、
ひとつずつ
言葉に直してくれました。
「ああ、私は
そういうふうに
思っていたんだ」
そうやって、
自分の気持ちを
客観的に見ることが
できるようになりました。
仕事、育児、家事。
何を優先したらいいのかも
分からないくらい、
頭の中は
ぐちゃぐちゃでした。
私の性格や、
今まで頑張ってきたことも
見ながら、
絡まった紐を
ほどくように
話を聞いてくれました。
そこも本当に丁寧に、
一つずつ
整理してくださいました。
最初に見てくれたのは、
娘をどう変えるかでは
ありませんでした。
私の心でした。
それが、
本当にありがたかったです。
最初に見てくれたのは、
娘をどう変えるかでは
ありませんでした。
私の心でした。
「しんどい」と言ってよかった
私は、
保育の仕事をしている
ということもあり、
プライドも高かったのだと
思います。
「しんどい」と
言ってはいけない。
自分で子どもを産む道を選び、
子育てしながら
仕事をする道を選んだ。
だから、
自分で責任を
取らなきゃいけない。
そう思っていました。
でも、
つっつんさんから
こんなふうに
言葉をかけてもらいました。
「今、
こう思っているよね」
「この気持ちは
しんどいよね」
「しんどいって
言っていいよ」
その時、
私は初めて、
「ああ、
しんどいって
言っていいんだ」
と思えました。
「しんどいです」
「もう限界です」
そう言えたことを、
全部まるっと
受け止めてもらえたような
感覚がありました。
そこで心が
ふわっと軽くなり、
「一人じゃない」と
思えました。
もちろん、
すぐに全部が
変わったわけではありません。
娘と一緒に
癇癪を起こしてしまい、
自己嫌悪になる日も
ありました。
それでも、
少しずつ、
少しずつ、
前に進んでいきました。
うまくいっても、
うまくいかなくても、
私が気持ちに
余裕を持てるように。
つっつんさんは、
絡まっている私の現状を、
一緒に整理してくださいました。
相談できることが、
何よりありがたかったです。
一人じゃないと
実感できたことが、
私にとって
大きな安心でした。
夫との関わりも、
少しずつ
変わっていきました。
娘の成長も、
もちろん大きかったと思います。
でも当時の私は、
「これはいつまで
続くのだろう」と
長いトンネルの中に
いるような気持ちでした。
その中で、
一緒に整理してくれる人が
いること。
それだけで、
呼吸がしやすくなるような
感覚がありました。
一人じゃないと
実感できたことが、
私にとって
大きな安心でした。
今、私が大切にしていること
娘は今、
小学校3年生です。
特別支援学級に
所属しています。
場面緘黙があり、
学校では
話すことができません。
それでも、
学校のお友達のことが
大好きだそうです。
お友達にも、
さまざまな特性のある
お子さんたちがいます。
でも子どもたち同士、
それぞれを受け止めて、
支え合っているように
見えます。
娘は娘なりに、
学校での拠り所を
見つけています。
そんな娘の姿を見て、
今、私が大切にしているのは、
目に見える「できた」だけで
成長を決めつけないことです。
話せることだけが、
つながりではない。
みんなと同じペースで
進むことだけが、
成長ではない。
そんなことを、
娘を通して
日々学ばせてもらっています。
今も、
簡単なことばかりでは
ありません。
けれど少しずつ、
娘も自分の気持ちを
伝えられる場面が
増えてきました。
話せる状況を
作っていくのは、
こちらの大切な役目でも
あるのだと思います。
私は元々、
完璧主義です。
「こうするべき」
「世間の常識だから」
そんなふうに、
私から見たルールや経験で
物事を判断してきました。
保育の仕事をしてきたからこそ、
「ああしたくない」
「こうしたくない」という
理想もありました。
でも今、
大事にしているのは、
その壁を
一度取っ払うことです。
目の前の娘に対して、
私の理想や正解を
押しつけるのではなく、
今の娘に
何が起きているのかを
見ようとすること。
なんで?
と思うことは、
今でもたくさんあります。
でも、
この子はこの子なんだ。
これがこの子なんだ。
まずそこに
立ち戻るようにしています。
怒りたい気持ちが
出てきた時も、
一度横に置いてみます。
私は何に
怒っているんだろう。
今この子は、
何をしたいのかな。
何が楽しいのかな。
何に困っているのかな。
そうやって、
娘にもう一度
興味を持つようにしています。
だから私が
大切にしているのは、
話せることだけが、
つながりではない。
みんなと同じペースで
進むことだけが、
成長ではない。
今、しんどいお母さんへ
当時の私は、
自分だけで考え続けて、
どんどん陰に
入っていくような感覚が
ありました。
「私はダメだ」
「この子を
育てていけないかもしれない」
そんな言葉ばかりが
頭の中に
出てきてしまう。
先が見えなさすぎて、
不安でいっぱいでした。
でも、
ぐちゃぐちゃのまま
出していい場所があると、
少しずつ
自分の気持ちが
見えてきます。
「こういう気持ちで
いたんだね」と、
自分のことを
労われるようになります。
そうすると、
子どものことも
心から愛おしいと
思える瞬間が
戻ってきます。
子育ては十人十色で、
正解もありません。
一歩でも、
半歩でも、
同じ場所にいるように
見える日でも。
螺旋階段を
上がるように、
少しずつ前に
進んでいることが
あるのだと思います。
今、
誰にも届かない声を
抱えているお母さんに。
一人じゃないよ。
ぐちゃぐちゃのままでも、
話していい場所があるよ。
そう届くきっかけに
なれたら嬉しいです。
お母さんとお子さんが、
お互いに
安心できる場所へ
向かっていけるように。
私もこれから、
同じように悩むママさんと
ともに歩んでいきたいと
思っています。